国語が得意になる文章の読み方(第3回その1)
『虔十公園林』の第3回です。
第1回
国語が得意になる文章の読み方。実践編第1回。 - 国語を得意に!(中学入試応援ブログ)
第2回
国語が得意になる文章の読み方(第2回) - 国語を得意に!(中学入試応援ブログ)
〈本文〉
けれどもあんまり子供らが虔十をばかにして笑うものですから虔十はだんだん笑わないふりをするようになりました。
「けれども」から始まっているので、そこを意識することから始めます。
今回は接続詞に対する考え方をお伝えします。これも本当に大切なので、是非最後までお読みください。
実は、私も教師を始めたときには、それほど強く意識して教えていたわけではありません。もちろん、「つまり」のあとはまとめになっているから意識しようとか、「しかし」のあとは筆者のいいたいことがくるよとか、「だから」があったら因果関係なので重要だよ、という通り一遍のことは話していました。
ところが、接続詞はどんなときにも意識させきらなければならない、と痛感したことがあるのです。
それは、灘中の入試問題でした。
「こういう時にありとあらゆるデータを説明する医師もいるが」という本文で、傍線に対する目的を問われ多物でした。
この問題は、中3生向けの特別講座でもよく使っていた問題です。
夏の特別講座で実施した場合、日比谷の合格が確実な生徒でもほとんどの子が間違える問題です。
直前の「こういう時」という言葉のみに注目して答えてしまいがちなのです。
私は情報を正しく把握するための問いかけを生徒たちに徹底します。
この設問の場合は、以下の4点になります。
1)直前に「こういう時」とあるので、指示内容をとらえる。
2)「ありとあらゆるデータを説明する医師」と表現されているので、そうでない医師を意識する。
3)「も」とあるので、そうでない医師を考える。
4)「が」とあるので……。今から説明します。
特に4)が大切で、ここを見落としていると正解はなかなか得られません。
それでは、接続詞(接続助詞)の重要性を例題を通じて学びます。
【例題】次の文の続きを答えなさい。
昨日、海へ行った。しかし、
【解説】
「しかし」の働きは逆接だから、反対の内容がくる。こういう理解だと「海へ行かなかった」と答える可能性が生じてしまいます。
逆接は「ふつう考えるのとはくいちがっていること」(『例解新国語辞典』による)なのです。海へ行ったらふつうどうでしょうか。それを考えて、その反対を答えれば良いのです。「泳がなかった」「楽しめなかった」「遊ばなかった」などが正解になります。
小学生にこの問題を出すと、「雨が降った」と答える子が結構多いのです。「しかし」のはたらきはと聞くと「逆接」と答えられても、正しく逆接を使えるようになっていない生徒もいるということなのです。
さて、灘の問題に戻ります。
「ありとあらゆるデータを説明する医師もいるが」と説明しているのは筆者です。ですから、この「が」を意識すると、私はそういうことはしないという内容がくるとわかります。
その後、本文は「その患者にとって、よかれと思った治療法を提示して、説明したつもりではあった」と続きます。
つまり、「ありとあらゆるデータを説明する医師」と「その患者にとって、よかれと思った治療法を提示」する医師とを対比させて考えればよいのです。
私が始めてこの問題の解説をした時、「ここに書かれてあることを見落とすから間違うんだよ」と偉そうに説教していました。
授業が終わったあと、何と無責任な言葉だったのかと反省しました。
どうすれば全員がここに注目できたのかと考えたのです。
答えは非常に単純でした。どんなときにも「が」をおさえるようにする。これを徹底させればよいのだということでした。
接続詞は、次にどのような内容がくるかを予め教えてくれる働きをする言葉なのです。接続詞がくるたびに、次の内容を予測することを習慣化してください。必ず読みが深まります。
『虔十公園林』の続きは次回(第3回その2)をお待ちください。