「国語を得意に!」〜中学入試応援ブログ〜

中学入試の国語を得意にすること、合格方法についてはお任せください。

中学受験 受験者平均点を合格者平均点にするために!

 今回は、傍線部からいかに根拠をとるかに焦点を当ててブログを書きます。

 国語の点数が安定していない生徒の特徴は、正しく根拠をとらずに答えを出そうとすることです。


 前回のブログでは、傍線部と根拠を重ねるだけで答えが出せる問題を説明しました。

 今回は、傍線部や設問からの根拠のとり方をお伝えします。


 前回よりややレベるの高い内容なので、国語ですでに受験者平均点はとれている人が確実に合格点をとるための道筋をお伝えします。

 駒場東邦・海城・早稲田・芝・城北、豊島岡・吉祥女子などを目指す生徒には特に役に立つことと思います。

 それでは、合格者平均点をとり切るための根拠のとり方を丁寧に説明します。がんばってついてきてください。

 

 豊島岡の入試問題2018年の第1回の1番(論説文)を使って説明していきます。

 本文がなくても大丈夫ですが、手元にあるとわかりやすいでしょうから、四谷大塚の過去問データベースをご覧ください。なくても基本的な考え方はお伝えできるはずです。


問1  傍線1「厳しい社会の荒波に耐えられるように、そして力強く自分の道を切り開いていけるように、あえて心を鬼にして厳しく育てる」とありま

 すが、ここで育てているものは何ですか。本文中から四字で探し、抜き出しなさい。

 

 国語が苦手な生徒がやりがちな自分への問いかけを書きます。

 「何を育てているのかな?」「育てているものは何だろう?」

 こんな感じですね。問われていることをそのまま繰り返しているのです。これでは、わかる子はわかるしわからない子はわからないでしょう。教える側も「よく読んで」などとごまかしたりしがちです。

 

ポイント 不足している情報を得る。

 

 この傍線部では「育てる」の主語がありません。

 主語を考えるために、まずは傍線を含む一文を読みます。

 「かつては日本でも、子どもの将来のために、厳しい社会の〜育てるということがあったが〜」とあるので、主語は日本の親がだということがわかります。また、「子どもの将来のために」していたことだということもわかります。

 

 これで情報が増えました。

 かつての日本の親が子どもの将来のために、あえて厳しくすることで育てているもの。これを探すのです。

 いかがですか。「何を育てているものは何だろう?」とは次元が違いますね。

 

 さらに、もう気づいた方もいらっしゃると思いますが、情報を増やせます。「かつては」とあるのですから、今は違うということがわかりますね。すなわち、今の日本の親たちが育てていないもの。これも意識して探せるのです。


ポイント 見方を変えて考える。

 

 先ほどの文には逆接の「が」の続きがありました。

「一九九〇年代頃から、教育評論家たちが文化的風土の違いを無視して、アメリカ流の言葉で褒める子育てを推奨したため、日本中に『ほめて育てる』『叱らない子育て』が広まった。その結果、教育的配慮に欠けた甘い子育てが横行することになった。」


 ここまで読むとさらに情報が増えます。今の日本の親たちが子どもの将来のことを考えずに、教育的配慮に欠けた甘い子育てをするようになった結果、育たなくなったものを考えるということになります。

 

 この意識を持って本文を読み進めていくと、次の段落に出会います。ちなみに傍線の32行後です。何となく答えを探していたのでは決して見つけることができないところにあるのです。

 

  そのような親(ペットをかわいがるように子どもと親しんでいる親)は、子どもが自立し、親から距離を取っていくべき中高生の年頃になって

 も、子どもから頼られたい、甘えられたいと思い、自立に向けて突き放すことができない。子どもの側も、そんな親の気持ちをどこかで感じ取り、

 自立すると親が淋しがるといった思いをもつようになる。そうしているうちに、いつまでも親に甘え、親を頼る。自立の力の乏しい若者になってい

 く。


 「ほめて育てる」子育てをしてきた結果、「自立に向けて突き放すことができ」ずに、子どもは「自立の力」を育てることができないのです。

 傍線部や傍線部の前後から根拠をとることが大切です。不足している情報や、見方を変えて得られる情報を意識することが大切になります。

 

 では、もう1問。根拠をとる意識があるかないかで決まる問題を見てみましょう。


問3  傍線3「『自分のため』に子どもにやさしくしている」とありますが、どういうことですか。最も適当なものを次のア〜オの中から一つ選び、記

 号で答えなさい。


ア 子どもに厳しくすることで反抗され、結果として自分が傷つけられることを恐れてやさしくしているということ。

ウ 子どもの将来のことを考えず、子どもと共に過ごす間は自分が嫌な思いをしなければいいと思ってやさしくしているということ。


 今回も問1と同じように主語がないので確認していきます。傍線を含む一文を見てみます。


  子どもに嫌われたくないという思いが強い親は、「子どものため」ではなく「自分のため」に子どもにやさしくしているのである。


 この一文の見方を変えると以下の通りになります。

 

  子どもに嫌われてもいいと考える親は、「自分のため」にではなく「子どものため」にあえて厳しくしているのである。


 ここから「子どものため」というのは、問1であったように「子どもの将来のため」であることがわかります。また、直前の段落を読むと、「子どものためを思ったら、たとえ子どもから激しく反発され〜ても、親として厳しく注意しなければならいこともある」という表現からも同じようなことがうかがえます。

 

 では、子どもに嫌われたくないという思いの強い親がやさしくするのがなぜかを考えます。その際にやってはいけないことは、自分の頭で考えることです。とにかく本文に根拠を求めます。


 子どもに嫌われたくない親のしていることは、問1で確認したように「教育的配慮に欠けた甘い子育て」です。それを本文では「目の前の子どもの笑顔が見たい、叱ったりして気まずくなりたくない、一緒に楽しく過ごしていたいという親」と書かれています。

 

 こういう親にとってやさしくしないということは、どういうことにつながるでしょうか。「子どもの笑顔が見」られなくなりますし、「叱」ることで「気まずくなり」ますし、「一緒に楽しく過ご」せなくなります。つまり、自分の望みが叶わないことになります。


 これまでの情報から、傍線を含む一文は、次のように書き換えられることになります。


 子どもに嫌われたくないという思いが強い親は、子どもの将来のためを思って厳しく注意したりすることはなく、自分が叱ることで、子どもの笑顔が見られなくなったり、気まずくなったり、楽しく過ごせなくなるのが嫌なので、子どもにやさしくしているのである。


 この情報が書いてある選択肢を選ぶことになります。正解はウです。


 ここまで丁寧に本文に根拠を求めていなくても、傍線の直前にある「『子どものため』ではなく」が意識されていれば正解を出せる問いです。その一手間をさぼって、「どれが答えかな?」と考えながら、選択肢にいくと見事にはまるのです。


 アを読んだときに、「子どもに厳しくすることで反抗され、結果として自分が傷つけられる」というのは、自分のことを考えていることに当たるから、これが正解のような気がする。こう考えてアにしてしまいがちなのです。


 とにかく本文に根拠を求める。

 そのために、不足している情報を考えることと、見方を変えて情報を得ることとを最低限意識する。

 これだけで本当に点数は変わります。まだ時間はあります。がんばりましょう!