「国語を得意に!」〜中学入試応援ブログ〜

中学入試の国語を得意にすること、合格方法についてはお任せください。

国語を得意にする文章の読み方第5回(動画)

〈本文〉

 ある年、山がまだ雪でまっ白く野原に新しい草も芽を出さない時、虔十はいきなり田打ちをしていた家の人達の前に走ってきて言いました。

「お母、おらさ杉苗七百本、買ってけろ。」

 虔十のおっかさんはきらきらの三本鍬を動かすのをやめてじっと虔十の顔を見て言いました。

「杉苗七百ど、どこさ植えらい。」

「家のうしろの野原さ。」

 そのとき虔十の兄さんが言いました。

「虔十、あそごは杉植えでも成長(おが)らないところだ。それより少し田でも打って助(す)けろ。」

 虔十はきまり悪そうにもじもじして下を向いてしまいました。

 すると虔十のお父さんが向こうで汗をふきながらからだを延ばして

「買ってやれ、買ってやれ。虔十ぁ今まで何一つだて頼んだごとぁ無ぃがったもの。買ってやれ。」と言いましたので虔十のお母さんも安心したように笑いました。

 

 

この本文の解説動画です。

ブログに書かれていない内容を入れてあります。

 

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4・5年生は夏を前に志望校を決めましょう。

4・5年生は夏を前に志望校を決めましょう。

 

5年生の夏は受験校を決めてしまうものだと私は考えています。ここで大きく伸びるための礎を築けなければ、偏差値で受験校を決めることになってしまうでしょう。4・5年生の夏は成績を上げる大チャンスです。たとえ、それが今年のように短いものであっても本気で生徒自身が集中できたら素晴らしい成果につながります。

 

だから、このチャンスの夏を活かすために志望校を決めてもらいたいのです。しかも、本人が納得している形で。そうすれば、勉強への意欲を持った状態になりますので、それだけでチャンスはふくらみます。偏差値10以上の学校を目指してほしいと思います。

 

では、以下の流れでこの夏を活かす勉強法を説明していきます。

 

1)志望校決定までの流れ

①保護者様が行かせいたい学校を選ぶ。

子どもに決めさせると、友達のお姉ちゃんが行っているとか、制服がかわいいとか、大学附属だからとか、男子校だからとか、たまたま行った時の印象がよかったとかで決まります。子どもが持っている情報は少ないですからある意味仕方ないですよね。

 

もちろん、保護者様だってそんなに多くの情報を得られるわけではありませんし、どうしても情報は偏ったものだったりするので判断が難しいかと思います。だからこそ、学校側が公表している資料はしっかり見比べる必要があります。理念と実績(複数年にわたってご覧になった方がよいです)は比較検討されるのがよいと思います。その上で、学校に行かれると、理念と実際の差や実績が生まれる理由などを感じることができるはずです。どれもこれもよい学校に思えたら、お子様と話し合うとよいでしょう。

 

②保護者様の行かせたい学校を本人の志望校に導く。

・その学校に関する知識を与える。

 人は知れば知るほど好きになるものです。

 

・保護者様のお考えを伝える。

 どの学校がよいと思うのか、その理由を伝える。

 学校はなるべく複数あげてください。

 そうすることで保護者様の価値観を伝えていけるはずです。

 

2)夏に得意教科を作る

偏差値10以上高い学校に受かりに行くためには、自分もその学校を目指せるんだと思う必要があります。

ですから、少なくとも1教科は夏の最後にその偏差値に到達している必要があるのです。

もし、1教科でもその学校の偏差値を超えていれば、本人に自信が生まれます。

 

では、どうやって得意教科を作るかをお伝えします。

①得意教科は本人に決めさせる。

ここは本人の主体性が必要です。本人の受験なので当事者意識を持たせましょう。

 

ポイントは、復習+演習。

②授業当日の復習

・家に着いて30分後までに問題の解説を言葉で行う。その際、ノートや解説などは一切見ないこと。

・もし解説できない問題があった場合は、ノートを見直すこと。

・授業中に解けなかった問題は、「問題→問題から読み取れること→解説→答え」の流れでノートに記入。

③3日後の復習

・間違えていた問題だけ、改めて言葉で説明する。

・類題演習を実施。テキストの類題が終わっている場合は問題集を使用すること。

④9月の試験日1週間前から間違えたことのある問題はすべて解き直すこと。

 

3)塾を活かす勉強

①志望校はなるべく早く報告すること

塾側はご家庭の希望を叶えたいと思うのが普通です。

今は成績が足らなくても、何とかしてあげたいと思うはずです。

万一、その学校を志望校にしたことをからかう発言をされた場合は、そんな塾はすぐにやめてください。

②夏に伸ばしたい教科を塾にしらせてください。

これも本当に大事です。

ふつの塾であれば、教師側はそれを意識して取り組むはずです。

おそらく授業中に当たる回数が間違いなく増えてきますし、声かけの量も変わるはずです。

家庭学習の教材のアドバイスをしてくれたりもするのではないでしょうか。

③勉強は塾中心にすること

2)で示したとおり、大切なことは授業の復習をしっかりと行うことです。

先生による授業の巧拙は確かにあります。でも、上手な先生に教わったから力がつくとは限りません。

それより、熱心な先生かどうかの方が大切なんです。

先生を熱心にするためにも、志望校と得意教科にしたいものは塾に伝えることが大切です。

受験のプロを熱心にさせた方が結果的にはうまくいくことの方が多いです。

 

最後に、保護者様がやられるとよいと思うことをお伝えします。

・授業のノートを見ること。
・得意にすると決めた科目については、間違えた問題の把握を行う。
・やるべきことをしているかの点検。

ただし、感情が出てしまう場合は見ない方がよいでしょう。

やるべきことをやっているかの点検と状況把握。これを淡々と進めてください。

 

 

国語が得意になる文章の読み方(第6回)

第1回から第5回までで書かれていたのは虔十がどんな人かですね。

ずっと自然にふれていたいと思う人で、親に対する素直さもあわせもっています。

今日からいよいよ話の展開があります。

 

今回の学びも非常に大切です。

1)文脈を追うための問いかけ。

2)心情把握問題。気づかなければ解けないパターン。

 

〈本文〉

 さて、虔十の家のうしろに丁度おおきな運動場ぐらいの野原がまだ畑にならないで残っていました。

 

 この場合の「さて」には、虔十についての説明はこれまでとしていよいよ話に入っていきます、というような内容がこめられているととらえればよいでしょう。

 

 ところで、みなさん、何か疑問を持ちませんか?

 物語は作者が書いたものなのだから、すべての表現には意図があるのです。

 

 なぜ、野原の大きさを「丁度おおきな運動場ぐらい」にしたのだろう?

 なぜ、その大きさを「運動場」にたとえたのだろう?

 こんな疑問が持てると、自ずと考えが浮かんできますよね。

 

 「問い」があるから「答え」が生まれるのです。

 文章を読むときは、なぜ他の表現ではなく、こう書かれているんだろう。

 この問いかけを心がけるようにしてください。世界が変わり始めますよ。

 

 その野原は「まだ畑にならないで」いるのです。ということは、本来であれば「畑に」なっていたはずなのです。そう考えると疑問がわきますよね。

 なぜ、この野原は畑にならなかったのだろうと。

 

 これで二つの疑問がわいた状態で本文を読み進めることになります。これが大切なのです。論説文や説明文などでももちろんそうなのですが、書き手の意図をくむための問いかけを大切にしてみてください。

 

 では、続きをみていきます。

 

〈本文〉

 ある年、山がまだ雪でまっ白く野原に新しい草も芽を出さない時、虔十はいきなり田打ちをしていた家の人達の前に走ってきて言いました。

「お母、おらさ杉苗七百本、買ってけろ。」

 虔十のおっかさんはきらきらの三本鍬を動かすのをやめてじっと虔十の顔を見て言いました。

「杉苗七百ど、どこさ植えらい。」

「家のうしろの野原さ。」

 そのとき虔十の兄さんが言いました。

「虔十、あそごは杉植えでも成長(おが)らないところだ。それより少し田でも打って助(す)けろ。」

 虔十はきまり悪そうにもじもじして下を向いてしまいました。

 すると虔十のお父さんが向こうで汗をふきながらからだを延ばして

「買ってやれ、買ってやれ。虔十ぁ今まで何一つだて頼んだごとぁ無ぃがったもの。買ってやれ。」と言いましたので虔十のお母さんも安心したように笑いました。

 

 ある年、さきほどまで話題になっていた野原に関係する話がきました。「運動場ぐらい」と表現されていた野原に虔十は杉を植えたいと言ってきたのです。

 その時の季節は「山がまだ雪でまっ白く野原には新しい草も芽を出さない時」と表現されました。冬の終わりが近づいてはいるもののまだ春の兆しも感じられない時、などという表現ではないんですよね。常に他の可能性と比べてみましょう。すると、こう書いた方がよい理由が浮かんでくるものです。これは正解はありません。是非考えてみてください。

 

 続いてお母さんが出てきました。虔十のお母さんの持っていた「鍬」は「きらきら」しています。手入れの行き届いたものを使っている虔十のお母さんの人柄までが感じられるようですよね。生き生きとした感じを与える擬態語の効果ですね。

(参考動画「国語を得意にする文章の読み方③」擬態語・擬声語のはたらき)

https://youtu.be/jP1wHxksS5A

 

【問い】「虔十のおっかさん」が「じっと虔十の顔を見」たのはなぜですか。説明しなさい。

 

【考え方】

 相手の顔をじっと見るという意図的な行動を問われました。

 

 まず、行動の問いなので場面(出来事)を把握してしまいましょう。

 場面を把握するときのコツをお伝えします。

 いつ、「虔十のおっかさん」が「じっと虔十の顔を見」たのかと問いかけて、

きっかけをさがします。 

 

[覚えよう!]

行動の問いは、まず場面を把握する。

場面の把握の際のポイント➡️「いつ」と問いかけて、「きっかけ」をさがす。

 

「虔十のおっかさん」が「じっと虔十の顔を見」たのは、いきなり杉苗七百本買ってくれと虔十が言ってきたときです。

 

「顔」という言葉を辞書で引いてみます。言葉の意味が詳しく説明されている『例解新国語辞典』にこう書かれています。

③顔面に表れる心のうごき。〈用例〉顔をくもらす。顔がこわばる。すずしい顔をする。

④その人の人格や名誉などを代表するもの。〈用例〉顔がつぶれる。顔をたてる。

 

 つまり、「顔」から心情や人間性がうかがえるのです。

 

 最後に、意図的な行動なので、「そうしないどうなるか」「そうするとどうなるか」と考えます。「顔」という心情の表れる場所を見ることで虔十のねらいをさぐろうとしたのです。

 

【答え】

杉苗を七百本買ってくれと頼んできた虔十の真意をさぐるため。

 

 そこに虔十の兄さんが現れて、野原は杉を植えても成長しないところだという説明をしました。みなさん、これで一つの疑問が解決されましたね。成長しない場所だから畑にしていなかったのです。

 

 さらに兄さんは、「それより少し田でも打って助けろ」と言いました。 

 この言葉から普段は虔十は家の仕事をしていないことがわかりますね。言われればいくらでも働くのだけれどあえて両親は手伝わさなかった。そして、虔十はずっと自然を見て喜んでいたのです。

 

【問い】虔十の兄さんの言葉を聞いたときのお母さんの気持ちを説明しなさい。

 

【考え方】

 心情に関係する問題はまず場面をおさえます。

 

 場面は設問にあるとおり、兄さんの言葉を聞いたときです。

 兄さんの言葉は虔十に杉苗を買わないという意味あいになります。

 

 では、お母さんは虔十に杉苗を買うことをどう考えていたのでしょうか。

 これまでのところで、お母さんについてわかるのは、買ってくれと言われて「じっと虔十の顔を見」たことくらいです。真意をさぐろうとしたのですから、頭ごなしに否定したわけではありません。

 また、今までのところで、お母さんは虔十にたいへんな思いはさせないようにしていたとか、物を大事にする人だということも表現されていました。でも、この場面の答えを出すには根拠としては不十分です。

 もし、お母さんは虔十に優しいのだから、買ってあげたかったはずだと考えたとします。でも、その考えであれば、そんなに裕福ではないこともうかがえるわけですから、買ってやりたいけど現実的には買ってやれないと考えてもいいはずです。

 他に決定的な根拠はないのでしょうか?

 ここで後を読み進めます。すると、決定的な根拠に気づけるのです。

 

 お父さんが現れて買ってやることになったときのお母さんの反応です。

「虔十のお母さんも安心したように笑いました」とあります。つまり、虔十のお母さんは、杉苗を買ってやりたかったのです。しかし、兄の言葉でそれが難しそうになったので困っていたことがここからわかります。

 

 では、まとめましょう。

 

 場面は、兄の言葉で虔十に杉苗を買ってやれそうもなくなったときです。

 そのことをお母さんはどう思ったのでしょうか。買ってやりたいと思っていたのですから、残念に思ったことがわかります。

 

 答えの最後が固まりました。

 

 兄さんの言葉で虔十に杉苗を買ってやれそうもなくなり残念に思う気持ち。

 

 では、次に情報を増やしていきましょう。

 

 なぜ、お母さんは虔十に杉苗を買ってやりたいと思ったのでしょうか。

 それは、お父さんの言葉にあるとおり、虔十は今まで何一つ頼みごとをしなかった子だったのです。

 

【答え】

兄さんの言葉で虔十の初めての願い事である杉苗を買ってやることができそうもなくなり残念に思う気持ち。49字。

 

今回の勉強は本当に大事なものでした。

私の授業の根幹をなすものといえます。

 

すなわち、

 

「わからないこと」と「わかること」、この2点を意識しながら読むということです。

 

「わからないこと」を意識するからこそ、それをさがすことができるのです。
そして、さがすからこそ見つかるのです。

 

何気ない表現からも「わかること」は実は多いものです。そこに気づけなければ解けない問題もあるのです。だからこそ、どんなときにもそこから「わかること」は何かを考えながら読み進めるのです。

 

 

 

国語が得意になる文章の読み方(第5回)

『虔十公園林』第5回です。

 

国語が苦手な小学校6年生。

4・5年生で国語が苦手な人。

高校受験生でも国語が苦手な人は是非読んでください。

 

〈本文〉

 なるほど遠くから見ると虔十は口の横わきを掻いているかあるいは欠伸(あくび)でもしているかのように見えましたが近くではもちろん笑っている息の音も聞こえましたし唇がピクピク動いているのもわかりましたから子供らはやっぱりそれもばかにして笑いました。

 

 ここは前回学んだことの繰り返しになりますので、前回の内容をご確認ください。

国語が得意になる文章の読み方(第4回) - 国語を得意に!(中学入試応援ブログ)

 

〈本文〉

 おっかさんに言いつけられると虔十は水を五百杯でも汲みました。一日一杯畑の草もとりました。けれども虔十のおっかさんもおとうさんもなかなかそんなことを虔十に言いつけようとはしませんでした。

おっかさんに言いつけられると虔十は水を五百杯でも汲みました。一日一杯畑の草もとりました。

国語を得意にするためのポイントは情報を増やすことです。

そのための問いかけの基本は、不足情報と得られる情報です。

 

この一文の着眼点は「と」「でも」です。

 

「おっかさんに言いつけられる」なのですから、他の人の言いつけではないという当たり前のことに気づけます。親のいいつけは守る素直ないい子、という虔十の性格がうかがえます。

 

「と」は他の情報を得ることのできる大切な言葉です。

・栓をひねると、水が流れだした。(ひねらなければ出なかった)

・窓を開けてながめると、町のネオンがまたたきはじめていた。(開けなければ気づかなかった)

・このボタンを押すと、ふたがあきます。(押さなければあかない)

・この状態がつづくと、たいへんなことになる。(つづかなければ、そこまでひどい状態にはならない)

 

しかも「水を五百杯でも汲」むのです。ここが「でも」になっていることに注目してください。言い換えれば、「だとしても」となります。水を五百杯だったとしても汲むということ。すなわち、ふつうの人ならやらないようなことでもするとなります。

だから、この部分から虔十の素直さが強く感じられるのです。

「でも」も他の情報を得ることのできる大切な言葉です。

 

「一日一杯畑の草もとりました」と水の話と同じような話が繰り返されます。これによって、虔十の素直さがさらに浮かび上がりますし、虔十が農家の子供なのだということもわかります。

 

この二つの文は、虔十の性格と環境とを同時に表してくれるものでした。

第1回で「杜の中や畑の間」で自然の中と抽象化したように、並立の関係は必ず抽象化してください。そうすることで読み取りが深まります。

 

それでは、今日のメインです。

 

【問い】「虔十のおっかさんもおとうさんもなかなかそんなことを虔十に言いつけようとはしませんでした」とありますが、なぜ「虔十に言いつけようと」しなかったのですか。

 

意図的な行動の考え方を使って解きます。

 

こちらで詳しく解説していますのでご覧ください。

国語が得意になる文章の読み方。実践編第1回。 - 国語を得意に!(中学入試応援ブログ)

こちらも参考にしてください。

国語が得意になる文章の読み方(第4回) - 国語を得意に!(中学入試応援ブログ)

 

意図的な行動の考え方を教えておいてこういうのもおかしな話ですが、

大事なことは解き方を学ぶことではありません。

 

大事なのは考え方です。

「赤」という言葉は他の色があるから生まれた言葉です。

その色単独で言葉が生まれたわけではありません。

常に他の可能性と比べることです。

特に必要なことは反対のものと比べること。

 

この場合は、言いつけようとしないのですから、反対は言いつけるです。

常に、反対のものと比べる。

これをクセにしていれば解法など覚えなくても大丈夫なんです。

 

さて、言いつけたらどうなるでしょうか。

もちろん、虔十は言いつけをやることになります。

その言いつけは「そんなこと」と書かれているので「どんなこと」かという抽象化が必要です。

具体的には「水を五百杯でも汲」むことですし、「一日一杯畑の草」をとることです。これらは、たいへんなことですね。

 

ここまでの内容を整理します。

 

なぜ、言いつけようとしなかったのか。

言いつけたら、虔十はたいへんなことをやることになります。

 

言いつけなければ、虔十はたいへんなことをせずにすみます。

ですから、答えの最後は次のようになります。

 

虔十にたいへんなことをさせないようにするため。

虔十にたいへんなことをさせたくなかったから。

 

次に、情報を追加していきます。

答えを見て知りたい情報を加えればよいのです。

 

なぜ、虔十はたいへんなことをするのだろう?

 

その疑問を本文からわかる範囲で考えて行きます。

それは、虔十は言いつけはどんなことでも守るからです。

 

この情報を加えると次の答えになります。

どんな言いつけでも必ず守る虔十にたいへんなことをさせないようにするため。

 

さきほど「常に、反対のものと比べる」と書きましたが、同じように「常に」してほしいことがあります。それは抽象化です。なるべくまとめて考えるようにしましょう。

この場合は、なぜどんな言いつけでも守るのだろう? と考えても出ますね。

 

 

【答え】 

親に対して素直な(忠実な)虔十にたいへんなことをさせないようにするため。

 

 

『虔十公園林』シリーズ

「国語を得意にする文章の読み方」ということで、『虔十公園林』を使ってブログで進めていますが、実は動画もとっています。

 

3回目まで撮影していますので、以下のURLからご覧ください。

 

第1回(対比、「や」、意図的な行動)

https://youtu.be/toYlwVJckqI

 

第2回(抽象化と心情記述問題の解法)

https://youtu.be/PSyYdrMKXcM

 

第3回(擬声語・擬態語、意図的な行動)

https://youtu.be/jP1wHxksS5A

「のだ」のはたらき。

「のだ」「のである」を意識して文章を読んでいますか?

 

筆者の主張をまとめいたり、理由の説明になっていたりとたいへん重要な働きを示す表現です。

 

今回は動画で「のだ」「のである」の基本を説明しました。

 

10分で終わりますので、是非ご覧ください。

 

「雨がやんだことに気づかなかった」という文についての読解も説明しています。

こちらも是非見て欲しいです。

 

https://youtu.be/qQA9d1ky1z4