国語が得意になる文章の読み方(第6回)
第1回から第5回までで書かれていたのは虔十がどんな人かですね。
ずっと自然にふれていたいと思う人で、親に対する素直さもあわせもっています。
今日からいよいよ話の展開があります。
今回の学びも非常に大切です。
1)文脈を追うための問いかけ。
2)心情把握問題。気づかなければ解けないパターン。
〈本文〉
さて、虔十の家のうしろに丁度おおきな運動場ぐらいの野原がまだ畑にならないで残っていました。
この場合の「さて」には、虔十についての説明はこれまでとしていよいよ話に入っていきます、というような内容がこめられているととらえればよいでしょう。
ところで、みなさん、何か疑問を持ちませんか?
物語は作者が書いたものなのだから、すべての表現には意図があるのです。
なぜ、野原の大きさを「丁度おおきな運動場ぐらい」にしたのだろう?
なぜ、その大きさを「運動場」にたとえたのだろう?
こんな疑問が持てると、自ずと考えが浮かんできますよね。
「問い」があるから「答え」が生まれるのです。
文章を読むときは、なぜ他の表現ではなく、こう書かれているんだろう。
この問いかけを心がけるようにしてください。世界が変わり始めますよ。
その野原は「まだ畑にならないで」いるのです。ということは、本来であれば「畑に」なっていたはずなのです。そう考えると疑問がわきますよね。
なぜ、この野原は畑にならなかったのだろうと。
これで二つの疑問がわいた状態で本文を読み進めることになります。これが大切なのです。論説文や説明文などでももちろんそうなのですが、書き手の意図をくむための問いかけを大切にしてみてください。
では、続きをみていきます。
〈本文〉
ある年、山がまだ雪でまっ白く野原に新しい草も芽を出さない時、虔十はいきなり田打ちをしていた家の人達の前に走ってきて言いました。
「お母、おらさ杉苗七百本、買ってけろ。」
虔十のおっかさんはきらきらの三本鍬を動かすのをやめてじっと虔十の顔を見て言いました。
「杉苗七百ど、どこさ植えらい。」
「家のうしろの野原さ。」
そのとき虔十の兄さんが言いました。
「虔十、あそごは杉植えでも成長(おが)らないところだ。それより少し田でも打って助(す)けろ。」
虔十はきまり悪そうにもじもじして下を向いてしまいました。
すると虔十のお父さんが向こうで汗をふきながらからだを延ばして
「買ってやれ、買ってやれ。虔十ぁ今まで何一つだて頼んだごとぁ無ぃがったもの。買ってやれ。」と言いましたので虔十のお母さんも安心したように笑いました。
ある年、さきほどまで話題になっていた野原に関係する話がきました。「運動場ぐらい」と表現されていた野原に虔十は杉を植えたいと言ってきたのです。
その時の季節は「山がまだ雪でまっ白く野原には新しい草も芽を出さない時」と表現されました。冬の終わりが近づいてはいるもののまだ春の兆しも感じられない時、などという表現ではないんですよね。常に他の可能性と比べてみましょう。すると、こう書いた方がよい理由が浮かんでくるものです。これは正解はありません。是非考えてみてください。
続いてお母さんが出てきました。虔十のお母さんの持っていた「鍬」は「きらきら」しています。手入れの行き届いたものを使っている虔十のお母さんの人柄までが感じられるようですよね。生き生きとした感じを与える擬態語の効果ですね。
(参考動画「国語を得意にする文章の読み方③」擬態語・擬声語のはたらき)
【問い】「虔十のおっかさん」が「じっと虔十の顔を見」たのはなぜですか。説明しなさい。
【考え方】
相手の顔をじっと見るという意図的な行動を問われました。
まず、行動の問いなので場面(出来事)を把握してしまいましょう。
場面を把握するときのコツをお伝えします。
いつ、「虔十のおっかさん」が「じっと虔十の顔を見」たのかと問いかけて、
きっかけをさがします。
[覚えよう!]
行動の問いは、まず場面を把握する。
場面の把握の際のポイント➡️「いつ」と問いかけて、「きっかけ」をさがす。
「虔十のおっかさん」が「じっと虔十の顔を見」たのは、いきなり杉苗七百本買ってくれと虔十が言ってきたときです。
「顔」という言葉を辞書で引いてみます。言葉の意味が詳しく説明されている『例解新国語辞典』にこう書かれています。
③顔面に表れる心のうごき。〈用例〉顔をくもらす。顔がこわばる。すずしい顔をする。
④その人の人格や名誉などを代表するもの。〈用例〉顔がつぶれる。顔をたてる。
つまり、「顔」から心情や人間性がうかがえるのです。
最後に、意図的な行動なので、「そうしないどうなるか」「そうするとどうなるか」と考えます。「顔」という心情の表れる場所を見ることで虔十のねらいをさぐろうとしたのです。
【答え】
杉苗を七百本買ってくれと頼んできた虔十の真意をさぐるため。
そこに虔十の兄さんが現れて、野原は杉を植えても成長しないところだという説明をしました。みなさん、これで一つの疑問が解決されましたね。成長しない場所だから畑にしていなかったのです。
さらに兄さんは、「それより少し田でも打って助けろ」と言いました。
この言葉から普段は虔十は家の仕事をしていないことがわかりますね。言われればいくらでも働くのだけれどあえて両親は手伝わさなかった。そして、虔十はずっと自然を見て喜んでいたのです。
【問い】虔十の兄さんの言葉を聞いたときのお母さんの気持ちを説明しなさい。
【考え方】
心情に関係する問題はまず場面をおさえます。
場面は設問にあるとおり、兄さんの言葉を聞いたときです。
兄さんの言葉は虔十に杉苗を買わないという意味あいになります。
では、お母さんは虔十に杉苗を買うことをどう考えていたのでしょうか。
これまでのところで、お母さんについてわかるのは、買ってくれと言われて「じっと虔十の顔を見」たことくらいです。真意をさぐろうとしたのですから、頭ごなしに否定したわけではありません。
また、今までのところで、お母さんは虔十にたいへんな思いはさせないようにしていたとか、物を大事にする人だということも表現されていました。でも、この場面の答えを出すには根拠としては不十分です。
もし、お母さんは虔十に優しいのだから、買ってあげたかったはずだと考えたとします。でも、その考えであれば、そんなに裕福ではないこともうかがえるわけですから、買ってやりたいけど現実的には買ってやれないと考えてもいいはずです。
他に決定的な根拠はないのでしょうか?
ここで後を読み進めます。すると、決定的な根拠に気づけるのです。
お父さんが現れて買ってやることになったときのお母さんの反応です。
「虔十のお母さんも安心したように笑いました」とあります。つまり、虔十のお母さんは、杉苗を買ってやりたかったのです。しかし、兄の言葉でそれが難しそうになったので困っていたことがここからわかります。
では、まとめましょう。
場面は、兄の言葉で虔十に杉苗を買ってやれそうもなくなったときです。
そのことをお母さんはどう思ったのでしょうか。買ってやりたいと思っていたのですから、残念に思ったことがわかります。
答えの最後が固まりました。
兄さんの言葉で虔十に杉苗を買ってやれそうもなくなり残念に思う気持ち。
では、次に情報を増やしていきましょう。
なぜ、お母さんは虔十に杉苗を買ってやりたいと思ったのでしょうか。
それは、お父さんの言葉にあるとおり、虔十は今まで何一つ頼みごとをしなかった子だったのです。
【答え】
兄さんの言葉で虔十の初めての願い事である杉苗を買ってやることができそうもなくなり残念に思う気持ち。49字。
今回の勉強は本当に大事なものでした。
私の授業の根幹をなすものといえます。
すなわち、
「わからないこと」と「わかること」、この2点を意識しながら読むということです。
「わからないこと」を意識するからこそ、それをさがすことができるのです。
そして、さがすからこそ見つかるのです。
何気ない表現からも「わかること」は実は多いものです。そこに気づけなければ解けない問題もあるのです。だからこそ、どんなときにもそこから「わかること」は何かを考えながら読み進めるのです。